熊本地震

4月14日夜半、家でTVを見ながら、くつろいでいる時に、突然、大きな揺れがありました。当家は、写真立てが落ちる程度でしたが、TVで熊本・益城が震度7と表示されました。当地(玉名)は、震度5弱となっていました。翌日、益城地方では、かなりの被害があっていました。翌日、クリニックに行ってみると、3Fの本棚から、本が落ちて床に散乱していました。そのほかには、たいした被害もなく一安心していましたが、4月16日未明(1時25分ごろ)突然、身が浮き上がるような激しい揺れに目が覚めると、家がガタガタと激しく揺れており、収まるまでにかなりの時間がかかったような気がしました。まもなく。停電となりましたので、身の危険を感じ、停電の中、すぐに家族で2階の部屋へ退避しました。余震も収まったところで、1階へ降りてみると、食器棚の扉が開いて、コップが床に落ち、ガラス破片が散乱していました。幸いに、タンスなどは倒れておらず、まずは、一安心。そこで、約1年前に開設した老人ホームへ直行。老人ホームの建物や周囲の被害はなさそうで、これも一安心。メールに ’次に大きな余震の可能性あり’ との通知あり。当直者や駆けつけた数名で、入居者20数名の方々がすぐに避難できるように、1F食堂へ誘導。ご高齢で誘導は大変でしたが、パニックもなく、1F食堂へ集合させることができ、これも一安心。スタッフは、話しかけをしながら、不安を取り除くことに腐心していました。空が白けかけたところで、今度はクリニックへ移動。透析室は、ベッドや透析機器(セントラル配水機器やコンソール)があちこちに移動していましたが、転倒や透析液を送る管の離断もなく、当日からの血液透析は可能でした。3Fへ上がると、昨日かたづけた本棚が、無惨にもすべて落下し、途方に暮れてしまいました。
2回目の激震が本震であり、当地は震度6弱との発表がありました。震源地は2回とも益城近くであり、なんと、2回とも震度7と、今までに経験したことのない天災となっています。老人ホームに何かあったらすぐに駆けつけられるように、1週間老人ホーム駐車場に車中泊を経験しましたが、やはり、熟睡はできず、腰も痛く、大変な思いです。未だに車中泊を強いられている多くの被災者がおられます。いかに大変か、思い知らされます。激震地に近い熊本市内の透析施設の被害も大きく、また、断水にもなり、しばらくは透析不能となりました。ただ、透析機器の被害というより、断水が主な原因のようです。断水だけの施設は、自衛隊からの給水で、短時間透析を続けておられます。当院へも6名の方が避難されてこられましたが、本日で、全員の患者さんが、帰ることができました。今回の激震にもかかわらず、透析機器の損害が少なかったことは、20年前の阪神・淡路大震災の教訓が生かされていると思われました。それは、機器が固定式でなく、キャスター付きの移動性のものが多く、転倒がなかったためと思われます。当院も数年前に、すべてキャスター付き機器に換えていました。
熊本地震本震より2週間が過ぎようとしていますが、まだまだ余震が続いています。報道でご存じのように、熊本南部・阿蘇地方に甚大な被害がでています。余震が続く中、今後、降雨による二次被害が懸念されます。特に阿蘇地方は、火山灰の堆積で出来た土地ですので、地質が弱いと言われています。今回の地震でも、主要国道57号線に土砂崩れが起き、頑丈なはずの大きな橋が崩れてしまいました。たまたま通りかかかった大学生一人が未だに、行方不明です。この地震が、未明でなく、交通量の多い昼間に起こっていたら、かなりの犠牲者が出たと思うと、ゾッとします。
当玉名温泉には、多数の災害復旧支援の方々が泊まられています。早朝、犬の散歩をしていると、仙台市の車、名古屋水道局の車、国士舘大学の多数の学生さんたちや大手建築会社の復旧支援作業員の方々が被災地へ向けて出発されています。ほんとに頭の下がる思いです。 ’がんばれ熊本’  がんばりましょう!     
取り急ぎ、今回の経験を綴ってみました。60数名の犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたします。合掌。