還暦を過ぎると、余命がどれだけあるかが少し気になってきます。それと同時に、”たそがれ”という言葉がなぜか目に留まるようになってきました。私は、ビッグコミックオリジナルというマンガをかなり以前から愛読しています。その中に、弘兼憲史氏の黄昏流星群という作品があり、いつも楽しんでいます。一線を退いた、またはそろそろ落ち目になりそうな中高年男性の恋愛もので、少しエッチな、少しセンチな物語です。さらに人生のたそがれに近づいている者への応援メッセージとも受け取っています。なかなか読ませるマンガで、ドラマ化もされています。余談ですが、弘兼憲史氏は、母校(山口大)病理学教授・佐々木功典氏(小生の3年先輩)の高校の同級生だったようです。文藝春秋:同級生交歓に写真が載っていました。 ”たそがれ”とは、太陽が沈んでいく直前・直後の薄暗い時間帯で、夕暮れと同意語として使われます。また、これから転じて、人生の盛りを過ぎて終わりに近づこうとしているころを表す言葉でもあります。このように、”たそがれ”という言葉には、日が沈む・人生の終焉に近づいていくという物悲しさ、寂しさが込められています。しかし、また、その裏には、夕日の美しさ、おだやかな日さらに日はまた昇るという肯定的な感情も込められているような気がします。 ”たそがれ”の語源を、フリー百科事典ウィキペディアで調べてみました。”たそがれ”は、元来は、黄昏とは無関係な語である。”黄昏”は、元来「こうこん」と音読みする漢語で、十二時辰(1日を12等分した2時間ずつ)の一つ「戌の刻(いぬのこく)」の別名である。それが夕暮れ時をあらわすので、”たそがれ”の当て字にされたようです。江戸時代になるまでは、「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略である。暗くなって人の顔がわからず、「誰そ彼(だれですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味であると載っていました。万葉集に、「誰そ彼と われをな問いそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」という歌のなかに使われていますが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。平安時代になると、{源氏物語「夕顔」}に、「寄りてこそ それかとも見め たそかれにほのぼの見つる 夕顔の花」とあり、これは、現在のように夕暮れ時を表しています。これが、比喩として、物事が衰えた末期を意味するようになったのは、それほど古くないようです。一方、英語では、twilight(トワイライト)と言います。この言葉の成り立ちは、太陽と月が同時に空に浮かんでいる様<two light>から来てい ます。 ”人生のたそがれ”を意識しながら生きるようにはなりましたが、まだまだsunsetまでには、少し間があるだろうと思っています。これからの人生をいかに充実し、いかに楽しく生きるかという願いが強いようです。しかし、誰にでも必ず人生の黄昏時は訪れます。そのとき、あわてることなく、死を見つめることが出来ればいいのですが・・・。枯れた老人を目指します。 |
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ハワイ島のたそがれ | ||
美しい夕焼け雲 | クジラの親子? |